母乳育児こそ素晴らしいという風習。
私が妊娠中に読んだ本(もらった冊子とか)を見返すと「出来る限り母乳で育てましょう」と書いてあるものが多い。
ネットの情報サイトも「母乳で」って書いてある。
どうしても足りない場合は、ミルクを足しましょうって。
私はこれを読んで、産んだら勝手におっぱいから母乳がジャバジャバ出て、ベビーはチューチュー吸えるもんだと思ってた。
多少はミルクを足せば良いのだと思ってた。
それくらい、母乳ってのは素晴らしいものだと勝手に思い込んでいた。というか、そう読み取れる文章ばっかりだった。
なので、自分のおっぱいを吸わないベビーに途方に暮れた。
母乳育児が出来ないじゃないか。と。
でも、腹が減ればベビーは泣くのだ。腹が減ったぞーとギャーギャー泣くのだ。
おっぱいを出して口に押し込んでもグエグエいいながらイヤイヤである*1
ものすごい拒否感。
お母さんとして認められてないみたいな否定されたみたいな感覚になって、ものすごく悲しくて情けなくて嗚咽するほど泣いた。
泣きながらミルクを作って、泣きながらミルクをあげれば嬉しそうにゴキュゴキュと音を立てて飲むベビー。
それをみて、更に号泣。「オマエ、必要ナイ」と宣告された気がした。
翌日も泣き続けた。
泣きたかったわけじゃないけど、ミルクの事を考えると勝手に涙が出た。私は何の為にココに居るの?と。
ミルクを作ってオムツを変えるなら、私じゃなくてもいいじゃないかと。
日曜日だったこともあって、旦那さんと母に全部押し付けて泣き続けた。勝手に出てくる涙が止まらなかった。
「出来れば母乳で育てたいね」と言っていた旦那さんは、その言葉が私を追いつめたんだと思ったようで何も言わなかった。
嗚咽しながら二日間も泣き続けた私。
母乳こそ全てだと思い込んでいた私。もう生後3週間も経つのに一度もおっぱいを吸われない悲しさと情けなさでいっぱいだった私。
母乳育児こと素晴らしいという思い込みに潰されそうだった。
母乳があげられないと母性が無いんだと批難されそうで怖かった。
愛情が足りないからおっぱいがあげられないんだと思い込んだ。
母乳で育てている友達が羨ましかったし、ミルクだってことで「完母じゃないんだ」って下に見られてるみたいで嫌だった。
抜け出したのは、友達の言葉だった。
「あんたは母乳以外に、ベビーにあげられるモノは無いのか?」
「たった半年やそこらの母乳以外に、あんたが持ってる色んな物を教えたらどうだ?」
歌ってあげる、本を読んであげる、ピアノを教えてあげる、写真をとってあげる、一緒に遊んであげる、お散歩してあげる…
母乳よりも、他にいっぱいあげられるものを持ってるじゃないか。
ママが笑って幸せで、いろんなことを教えてあげる方がいいじゃないか。
ミルクで育てても、なんの弊害も無いんだって思った。
母乳で育てられなかった分、色んな事を一緒にしようって思った。
母乳信仰は本当にすごい。他宗教は認めませんという新興宗教のように。
もちろん母乳が出るなら、おっぱいに問題がないなら、それでいいと思う。
でも、ミルクでもヤギ乳でも問題ないじゃない。
免疫がって言われたら、注意して育ててるって言えばいい。
愛情が、母性がって言われたら、いっぱい話しかけて歌ってるって言えばいい。
それでも色々言われたら、その人から離れればいい。
ミルクで育てるって言いにくい雰囲気がある。まるで戦犯のように言われたりする場合もある。
「あら、母乳じゃないんですか?」って言われたら、なにか文句ありますか?って聞き返したらいい。
お出かけに、哺乳瓶とお湯とミルクの荷物が増えるだけだ。半年間だ。その程度だ!
母乳が出ないとか、飲まないとかで悩んでる私とおなじ様な新米ママに。
一緒にミルクで育てよう!その分、話しかけたり歌うたったりしよう!
記念日にはシャンパンでも飲んじゃいましょう(*´∇`*)
だって母乳じゃないもん!って開き直っちゃいましょう♩
大丈夫!
もしベビーが大人になて就職するときに「母乳で育ちましたか?」なんて聞かれないよ。
大丈夫!
結婚相手に「ミルクで育ったんですか?」と聞いたりしないよ!
別にどっちだっていいじゃん(*´∇`*)
大泣きした事だって、何年後かに笑って一緒に話せたらいいじゃん☆
*1:-ω´-。)(。-`ω-